リオ記

つらつらら

投薬観察記(15〜17日目)

書こうと思ったので書きます

(書きたいんですよ。身体が思うように動かなくて悲しい)

 

 

24日もまた、日付が変わりしばらくすると眠気が高まり、携帯を置いた。7時前には起きられていたと思う。相変わらずの睡眠サイクルだが、寝覚は良くも悪くもなく、出かけるには充分足りていた。

この日は大阪を歩いた。飲食店に入らないという条件を付け、目的の展示会場では置かれている消毒液を見つけるたびに付けるという不審者まがいのことをしながら楽しく過ごせた。

以前歩いたところとはまた雰囲気がガラッと違っていた。心斎橋の展示に行き、そこから難波、道頓堀川まで、二往復ほど。たくさんの角を曲がりながら、目に光のある若い人達の姿、ZAZAの前で当日券を売り出している芸人さん達のよく響く声、粉もんの香りとすれ違った。そして変わらず賑やかだった、まさにあらゆる音があふれていた。

 

頭の中が、感覚刺激にいちいち乱されてしまう。それで暴れ出すのではなく、むしろ情報量の多さにビビっていた。

もう少し落ち着けられるなら、もう少し、あの街を楽しめるのに……。

 

その後阪神線の1dayチケットを頼りに、隣の西区、九条で降り、ただただ歩いた。駅前の道の30m程をいきなりローラースケートで滑り出す中学生くらいの子、見守る同級生(おそらく)。すかさず反対方向へ歩き出す。灰色の雰囲気を見つけたら曲がり、希望が少しでも見つかれば進む。ほどよく物騒で、とても静かだった。川の中を進むトンネルを抜けたら西の駅、そこから帰った。

この日としては九条のほうが面白かった。また来月にでも、今度は難波を集中的に巡れたらと思う。

 

混乱していた頭もすっかり整理され、家に着くことができた。

 

26日。この日は午前中に、誘われていたウクレレ教室に行った。雰囲気としては、ロックオタの妹と好き勝手ギターをいじりあっていたほうが楽しかっただろうと思えるようなものであった。

午後はシェアハウスの友達と近場の蕎麦屋へ行った。オーガニック栽培の材料を使い、野菜中心のメニューが豊富。初めてそば湯をいただいた。これが蛇口から出てくる家に住みたいな、と感じた。

その後友達の買った和菓子をわけてもらい、たくさんの感謝をした。ばりうますぎんか。しばらくウィンドウショッピングをしたあと、さらにカチューシャを2つプレゼントしてくれた。言葉だけでは感謝は伝えきれないな、と実感した。

 

帰りに「ついでに海行かない?」と尋ねられた。

何かから目を背け、「いいよ」と答えた。

 

帰って3時間、眠っていた。

 

その日の夜に生理が来た。実は予測日が25日だったのだが、ギリギリを攻めてみたのだ。また日付を超えた位に眠った。

 

27日。6時過ぎに目が覚め、うがいとトイレを済ませ、10時頃まで眠り、その後はずっと部屋にいた。腹が激しく痛むが、以前母からいただいた薬は今回も効かないだろう、どうせ物も食べられないのでそも飲めないだろう、と腹を括り、動画を漁ったりなどしていた。

 

 

どうしても知りたいことがある。

あの日あの海岸で、三味線のような和楽器を弾いていた方はどなたか、その弾かれていた曲は何だったのか。

それがどうにか分かりゃしないかと、その奏でられる音をずっと聞いていた。

 

ほっておいてしまってごめんなさい、友達のA。