ここまでで?
このブログページで私の書いているのは全て私の見た限りの事実です。
様式などを考えて省いた事柄が多いため、全体として文章と内容が不自然にはなっており、申し訳ないです。アウゥ…
意図的に視界から遮られている事柄には興味が湧くものです。そんな隠し方ができる人になります。
とっておきの誰かが、一緒の心へ住み着いてくれたらなあ。
投薬観察記(18~21日目)
3日に1記事の頻度を続けたくはないのですが、無理もないようです。ごめんなさい。
28日も同じように早く目覚め正午直前に身を起こした。昼食に1食分の野菜が摂れるというミネストローネを食べ、あとは少しのカロリーメイトとキャラメリゼのミニパフェをいただいた。
腹の痛みはなくなったが、変わらずずっと部屋にいた。掛け布団カバー等の洗濯物が溜まっていたので洗ったりなどしていた。この洗濯はそういえばシーツも、あの2,3回着た服もそうよなというノリでこれを書いている金曜まで続くこととなる。
29日は少し早く、10時半には身を起こしていた。この日はシーツを外に干そうとして、普段開けない窓の左側を開けた途端蜘蛛が入ってきた。金属のサッシに紙や木面用のカビ取りを吹きかけ退治した後、ハンドソープを混ぜた水で入念にサッシの掃除をした。100円ショップのとある商品を使っている。便利すぎるよ。
遠くへ行きたくとも辛い。なので、コンビニ限定の少し高めのお菓子を買った。シュガーバターの木シリーズ、セイロンティーを選んだ。給料の清算をし、払うものを払った。
30日は9時半頃に身を起こした。歯磨き用具やあらゆる物を洗った。緊急事態宣言が明日には明けるなと思い、外出を明日に延ばした。賑やかな場所に行くのは好きだ。力をもらえる気がするのだ。いつもより1時間早く、9時頃にデエビゴを飲み、23:30頃にはなんとなく眠れそうになっていた。明日は外出するのだから、とロフラゼプに希望を少し抱きながら眠ったのかもしれない。
1日、今日の分も書いてしまおう。
3:30頃に目が覚めてしまい、お手洗いとうがいのあとANN0を聞き、ツイッターのTL(リスト中心)を追ったりなどしたのち、6時にはまた眠ってしまっていた。
眠らなければよかった。
10時半の少し前には身を起こした。カロリーメイトとスムージー1杯をいただき、洗濯をし、準備をして外へ出た。遠くのスーパーまで安い食材とお菓子を買いに歩き、近くの薬局でやっとアルコールシートの詰替にありついた。
以前から行きたいと目星をつけていたカフェに行った。5年前にできたようだが、それが信じられなかった。コーヒーのちょうどよい苦み、味にぬかりのない自家製のスイーツ、彼岸花などを生けてあるお店の内装。ミドル男性の常連さんが多かった(朝〜日中にかけて営業しているため?)。ほんとうに、来られてよかった。
体力の減っている帰りだけバスを使った。節約術に入るといいな。
今日は朝からずっと、この2週間にはなかったほどの緊迫状態を身の内に抱きながら過ごした。
帰ってピアノを弾いた。「Strawberry Fields Forever」の弾き語り譜面を本気で作ろうと、ノートに音符を記していた。耳と記憶を神経で交流させ、その成果を音にする。体の何もかもがすり減り、確かに心が躍り出していた。
投薬観察記(15〜17日目)
書こうと思ったので書きます
(書きたいんですよ。身体が思うように動かなくて悲しい)
24日もまた、日付が変わりしばらくすると眠気が高まり、携帯を置いた。7時前には起きられていたと思う。相変わらずの睡眠サイクルだが、寝覚は良くも悪くもなく、出かけるには充分足りていた。
この日は大阪を歩いた。飲食店に入らないという条件を付け、目的の展示会場では置かれている消毒液を見つけるたびに付けるという不審者まがいのことをしながら楽しく過ごせた。
以前歩いたところとはまた雰囲気がガラッと違っていた。心斎橋の展示に行き、そこから難波、道頓堀川まで、二往復ほど。たくさんの角を曲がりながら、目に光のある若い人達の姿、ZAZAの前で当日券を売り出している芸人さん達のよく響く声、粉もんの香りとすれ違った。そして変わらず賑やかだった、まさにあらゆる音があふれていた。
頭の中が、感覚刺激にいちいち乱されてしまう。それで暴れ出すのではなく、むしろ情報量の多さにビビっていた。
もう少し落ち着けられるなら、もう少し、あの街を楽しめるのに……。
その後阪神線の1dayチケットを頼りに、隣の西区、九条で降り、ただただ歩いた。駅前の道の30m程をいきなりローラースケートで滑り出す中学生くらいの子、見守る同級生(おそらく)。すかさず反対方向へ歩き出す。灰色の雰囲気を見つけたら曲がり、希望が少しでも見つかれば進む。ほどよく物騒で、とても静かだった。川の中を進むトンネルを抜けたら西の駅、そこから帰った。
この日としては九条のほうが面白かった。また来月にでも、今度は難波を集中的に巡れたらと思う。
混乱していた頭もすっかり整理され、家に着くことができた。
26日。この日は午前中に、誘われていたウクレレ教室に行った。雰囲気としては、ロックオタの妹と好き勝手ギターをいじりあっていたほうが楽しかっただろうと思えるようなものであった。
午後はシェアハウスの友達と近場の蕎麦屋へ行った。オーガニック栽培の材料を使い、野菜中心のメニューが豊富。初めてそば湯をいただいた。これが蛇口から出てくる家に住みたいな、と感じた。
その後友達の買った和菓子をわけてもらい、たくさんの感謝をした。ばりうますぎんか。しばらくウィンドウショッピングをしたあと、さらにカチューシャを2つプレゼントしてくれた。言葉だけでは感謝は伝えきれないな、と実感した。
帰りに「ついでに海行かない?」と尋ねられた。
何かから目を背け、「いいよ」と答えた。
帰って3時間、眠っていた。
その日の夜に生理が来た。実は予測日が25日だったのだが、ギリギリを攻めてみたのだ。また日付を超えた位に眠った。
27日。6時過ぎに目が覚め、うがいとトイレを済ませ、10時頃まで眠り、その後はずっと部屋にいた。腹が激しく痛むが、以前母からいただいた薬は今回も効かないだろう、どうせ物も食べられないのでそも飲めないだろう、と腹を括り、動画を漁ったりなどしていた。
どうしても知りたいことがある。
あの日あの海岸で、三味線のような和楽器を弾いていた方はどなたか、その弾かれていた曲は何だったのか。
それがどうにか分かりゃしないかと、その奏でられる音をずっと聞いていた。
ほっておいてしまってごめんなさい、友達のA。
投薬観察記(12〜14日目)
更新が滞ってしまいすみません。
書く力が無事戻りました!
22日はあさイチでお笑い芸人とそのファンについての特集があり、珍しく早起きができた。7:30には食卓に向かえていただろうか。それを観たあとの30分と夕方の40分でピアノが弾けたのも、なんて良い過ごしかただろうと思えた。
その夜、一体何をすれば体が落ち着くかわからず眠れもせず、ベッドから身を起こした。なんとなくネット小説を読み、MASAの狐の嫁入りを聞くなどしていると、ようやく正解が見つかる。今、私には1つの物語の構想があり、その大事な設定の1つについて詳しくするための要素を紙に書いていった。充分な量を書いたとき眠気も来てくれたので、そのまま0時をまわった頃寝床に入った。
23日は最悪であった。
その日は6時半前に目が覚め身を起こしており、マーガリンを塗ったトーストをいただき、朝から1時間10分で平野レミ御大が15品仕上げるという修羅番組を観て、30分ピアノを弾き、部屋に戻った。前日もそうだったのだが、10:20にはまた眠ってしまい、13:20頃に目が覚めた。早起きの徳は方向音痴らしい。
その夜はRHCPなどを聞きながら短編小説を書いていた。全体の3か4分の1まで書けたところで筆(指)を止め、1:30までには眠った。そのうちどこかで公開する。場所は気が向けば教えます。
今日はピアノを弾いていない。手が鈍ってしまわぬうちに再び鍵盤を叩きたい。
今日のことが一番書きにくいのは何故だ?記憶はあるのに思い出しにくい。また10時頃から13時半頃まで眠っていたことと、明日のお出かけに向けてしっかり準備が整えられたのは確かだ。こんな私もよくやるな、明日倒れてたら中止しろよ、シェアハウスの人間にチケットをダメ元で譲ろうとするんだぞ、と自分の脳みそにメガホンを向けて伝えた。
果たして、薬は効いているのだろうか?
明日の大阪で誰かに暴言を吐くことがあればさすがに、そうだと認めるような者はいなくなるだろう。
投薬観察記(10&11日目)
身体が起きたのは10:20頃。
12時前にサンドイッチ(消費期限2日前)を食べ、何の気なしに過ごした。夕食と、好きなマンガの最新巻と綾鷹カフェを買いに、夕方外へ出た。
シェアハウスで一緒の子から勧められた綾鷹カフェは、前に分けてもらったときと同じ、これぞ幸せという味をしていた。最新巻は頭からお尻まで陰惨だった。決して、 決して誇張ではない!!そしてグリーンバーガーを求めてモスに入った。のだが、いつのまにか提供店舗がかなり限られてしまったらしく、それにはありつけず泣く泣く野菜バーガーを持ち帰った。
ここ数日、塩辛く脂っこいものが食べたくなったり、かと思えば野菜しか受け付けないという気になったり。予測がかなわない。
冷や汗をかくまではあまりいかないが、やはり外に出るとたくさんの音や景色の刺激に逐一反応していまう。
またしてもデエビゴを飲まなかった。夜を過ごすのが楽しいのかも自分でわかっていないうちに。
翌日、9:30にはなんとか身を起こし、急ピッチで荷物を詰め、13:30の再診に行った。薬により症状が少し軽くなってはいるが、まだ身体も思うように動かず、効いているのか、仕事を休んでいることにより回復できているのかがわからない、ということを告げた。初診時にいただいた診断書のとおり、1ヶ月(あと2週間)の経過をみましょうと伝えられた。
シェアハウスに戻り、風呂も食事も洗濯もさっさと済ませた。体力の限界がすぐきてしまうので、意識のあるうちに何でもやってしまおうという勢いは良い成果を生んでくれた。おかげで夜はハウスの子としゃべり、おすすめされた動画(https://youtu.be/smhoJzDiiwE)を見て笑い、楽しく遊べた!
薬を飲み、11時頃に眠り、
4時半ごろに目が覚めた。なぜ。
眠気に侵されそうになりながら、やっと今これを打ち終わるところだ。
投薬観察記(9日目)
昨晩、デエビゴを飲むタイミングを作れなかった。
好きなラジオの聴き逃し配信が昨日の深夜までの期限だったので、ワガママにもそれを聞こうと決めてしまったのだ。帰省しており、お風呂の順番が最後だったため、とうに日付を超えてから夜更かしを始めた。夜中に聴くには騒がしすぎるラジオだし、何度も声を出して笑いそうになった。絵を描きながら聴き、とても楽しい時間を過ごせた(完成した絵はどこかに上げる)。ただ、それすらも少し体力が追いつかなくなってしまっている。
実は以前のリアタイ時、外に出て長く歩いてしまい、食事と風呂を済ませたら限界というところまで身体が動かなくなっていた。そのためリアタイは2時間中の前半1時間だけにしようと決めたのだ。
のだが、昨日も聴いて描いてが少し億劫に感じてしまっていた。大好きな方々がくれる大好きな時間を、そんな風には絶対に思いたくない。
今日は夕食後のロフラゼプを飲みそびれるところだった。食後20分経ち慌てて飲み、消化できるように小さなレモンケーキ(100均によくうってるよ!)をひっそりと食べた。
投薬観察記(7&8日目)
昨日書きそびれてしまい申し訳ありません。早めに投稿しておこう。
昨日、ワクチンを打つために少し離れた実家へ帰り、本日打った。
午前中にほぼ動けないということをずっと書いてきた。そして今日の予約時間は9:30。
えっ?
テコでなんとか起き、当日の朝になってやっと荷物の準備をし出し、予定より30分遅れて電車に乗り、迎えに来るように親に伝えた時間より10分遅れてしまった(特急を使ってなんとか急いだ)。
実は前日の夜デエビゴを飲み忘れていた。しかし21時には眠れて(準備や移動その他でたくさんだった)いた。5時に目覚め、また眠る。8時にやっっと身を起こした。接種を終え所用を済ませ帰った後、14時前から18時前まで眠ってしまった。
薬を飲み始めてから、眠られた感じが少しはするようになったが、劇的な変化はあまりない。
朝の洗濯も、風呂の掃除も、食事の用意も、食器洗いも、ここにいる5日間、家族に任せっきりになってしまう。せめて昨日は風呂の掃除と、食器を自分の使った分だけ洗った。「ありがとう」と言われた。そんな小さなことにもらえた感謝が嬉しいという気持ちと、これでもう何もしなくていいと思えてしまうような過度な安堵が同時にやってきたことが、なによりも恐ろしかった。